投稿者
  題名 ※管理者の承認後に掲載されます。
  内容 入力補助<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ | 画像 ] [ 検索 ]

投稿募集! スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成

[PR] ゲルマニウム温浴  新潟の求人・転職  
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ みんなの掲示板 ] [ 無料ブログ ] [ チャット ]

全172件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

石巻山を囲む神社群と姫神

 投稿者:maeda  投稿日:2012年 5月 9日(水)21時54分57秒
  勝山の白山神社と蒜生神社、更に、椙本八幡社などが、石巻山を囲む神社群を形成していますね。
椙本八幡社(祭神:息長帯日子命)は、八郡誌によると、富士王宮と呼ばれていたようです。
崇山の浅間神社の原川社も、富士王宮と呼ばれたとか。こちらは、鹿葦津姫(コノハナサクヤ姫)を祭っていたと思います。上社の祭神は大山祇命です。
石巻神社は、大巳貴命と矢野若日女命(スサノオ神の女、八名郡の名称のもとになったとか)を祀っており、姫神が多く祀られているのと、富士とのつながりが大きいようです。
このあたりの、歴史的意味が判るとよいのですが。
 

こちらも気になる

 投稿者:鳥見塚の地主  投稿日:2012年 5月 5日(土)22時06分18秒
  権現山に来たのは
三笠宮だったと思いますが

来た理由については
戦時中に(終戦間近か?)
あそこに高射砲を作り
その視察だったと記憶しています。

緑野神社で気になるのは
その北(勝山村内)にあるのが白山神社
白山神社の西に黒谷神社(成沢村内)

各々の神社は勝山城の四隅を守る神社とも言われていますので
それならもう一つあるはずなのですが
村の長老や神主に聞いても要領を得ません。

思うに
三上村には赤川姓がありますから
三上村の住人が豊川西岸に移住する前に
権現下の赤川邸にでも赤川神社が祀ってあったのかもしれません。

白山、黒谷、緑野、赤川これで完のような

でも

黒谷神社と勝山城をくらべると
黒谷神社の鎮座のほうが古く

とすれば

すでにある神社の結界の中に
城を築いたのか?

では本来の
結界の中の主は????

謎です。





 

権現山古墳との関係は

 投稿者:maeda  投稿日:2012年 4月12日(木)11時13分23秒
   三上の鳥見塚の南方にある、権現山の頂上に、前方後方墳や方墳があります。某宮様が来所されたとの碑が立っていたと記憶しておりますが、鳥見塚との関連はないでしょうか。緑野神社(豊川市三上町権現下、祭神:速玉男命 事解男命 伊邪那岐命 伊邪那美命 由 緒 創建は明らかでない。村名権現なれば相当古くより鎮座 したことがわかる。明治10年6月28日、据置公許となる。)も何か気になる神社です。  

これにも何らかの意味が?

 投稿者:鳥見塚の地主  投稿日:2012年 4月 3日(火)17時54分51秒
  鳥見塚の埋葬者は分かりかねますが
もしアマテラスだとすればこんな素敵なことはありません。

しかしそれを証するための
発掘調査とかの費用はありませんので
現状では永遠のロマンでしょうか?

それとともにロマンというか
私の中に以前から謎があり

maeda様が上鳥見塚とされている地は(これはこれで問題なしと思います)
字名としては「北山」で
その南西にある黒谷神社あたりを「向山」と言います。

これは、明らかに何かに対しての北と向かいのはずで
とすれば
鳴沢池もしくはその南になんらかの物があったのでは?

池の上あたりに
宮?御殿でもあったのか?
もしくは
ここにはアマテラス以上の誰かを祀ってあるのかも?

現在では
それらしいことを示す物は何も残ってませんので
何に対しての北と向かいなのかが
私の以前からの疑問点であり謎です。

このような地であれば
絶対に何らかあると思うのですが
何なんでしょう??

 

上鳥見塚の埋葬者

 投稿者:maeda  投稿日:2012年 3月29日(木)11時40分14秒
  鳥見塚の地主さま

 上鳥見塚に埋葬されている方については、三上(みかみ)の地の上(かみ)であると考えると、「あまてらすおおみかみ」という言葉とつながってくるように思うのですが。
豊川の上流に、天照大神誕生の伝説があるので、奇妙な符合を感じています。
当方の掲示板1に、豊川中流にある「井祭明神」のことを問い合わせてくれたひとがいますので、井祭について一寸考えてみました。
 井祭の祭(さい)は、タミル語で「豊」「鳴り」という意味になり、井祭は稲荷になります。最近の飛鳥昭雄氏や久保有政氏の紹介本によると、いなり明神=INRIとなり、キリストを表しており、しかもそれが、本来の「天照大神」を表しているという説があります。その可能性はあります。
 最近出版された布施泰和著「竹内文書の謎を解く」という本には、「いすず」がイエスを意味していると書かれています。さらにそれが女性に転化し、卑弥呼や持統天皇に仮託されるようになりました。
 鈴木家が守る、三上の地の「上鳥見塚」は「天照大神=卑弥呼」の遺物を埋葬した可能性が考えられると思うのですが。如何でしょうか。
 

鳥見塚の地主様

 投稿者:maeda  投稿日:2012年 3月25日(日)18時01分33秒
  鳥見塚の埋葬者は誰なのか、気になりますね。
塚の造られた時期が判るといいのですが。
どのように推定されているのでしょうか。
 

上鳥見塚の石地蔵

 投稿者:鳥見塚の地主  投稿日:2012年 3月19日(月)18時43分3秒
  先日の投稿後に思い出したことがあります。

南脇に建つ受洞寺(室町晩期に創建のようです)には
成沢村住民の墓がありますが

寺の横と斜面上部に分かれており
その上部の一角に(うちの墓の隣になります)本来はここにあるはずがない
件の(入文村の)鈴木家由来の地蔵?石仏?が10体ほどあり
以前から「どうして此処にあるの?」と不思議に思っていた事を思い出しました。

これは
この地の墓守と関連があってのことなのか?
そのほうが
すっきり理由が付きますが???

まずは
報告まで。


 

鳥見塚の考証について

 投稿者:maeda  投稿日:2012年 3月12日(月)14時10分11秒
  鳥見塚の地主さま

 投稿有難うございました。
 しばらく、掲示板をのぞいていなかったので開示が遅くなり失礼しました。

 鳥見塚の地、「北山(上鳥見塚)の柿畑からは縄文晩期~弥生期にかけての土器が地表から1m~2mの地層でゾクゾク出てきます。この地は「西郷の歴史」誌では成沢遺跡とされています」ということは、貴重な情報ですね。

 縄文晩期~弥生期の遺跡ということであれば、邪馬台国時代より前のものかも知れませんが、却って重要性があるように思われます。

 実は、マクモニーグルという、アメリカのFBIの透視能力者が、卑弥呼の居城を透視しているのですが、この人は、奈良の三輪山南部にある「鳥見山」が、卑弥呼の夏の居城であったと言っています。
 東三河の石巻山は、奈良の三輪山の元山だとも言い伝えられ、三輪山の神社宮司は、現在豊橋出身の人になっています。
 奈良の古墳の出土物は、東海式の土器が多く、東三河の水神平式土器など、東三河から、奈良に行って、邪馬台国に関係する、古墳文化を創った可能性が高いと思われます。
 鳥見塚の出土物がどのようなものか、是非見てみたいものです。
 

鳥見塚についての考証

 投稿者:鳥見塚の地主  投稿日:2012年 3月 1日(木)21時09分45秒
  書籍三冊をワクワクしながら読ませていただきました。

中でも鳥見塚に天照大神と卑弥呼が祀られているというだんには
鳥肌が立ちました。

筆者が鳥見塚として写真を載せている場所は
字名的には北山の地で
(場所は三上となっていますがここは成沢村の地です)
地番ではここの北西部が鳥見塚となり
上鳥見塚は丘陵地を含みますが
下鳥見塚は平地です。

しかし

何らか貴い人を祀った地であれば
平地に祀るはずもなく
古墳としての上下であれば筆者の理解で正しいとも思いますし

実際、北山(上鳥見塚)の私の柿畑からは縄文晩期~弥生期にかけての土器が
地表から1m~2mの地層でゾクゾク出てきます。

この地は「西郷の歴史」誌では成沢遺跡とされていますし
四〇数年前に畑へ入るための道を拡張した際に出土した土器は西郷小学校に
展示してあります。

私的には
この出土地は古墳の(丘陵地の)端部であり
埴輪や土器を冠状に埋葬した場所に当たると思います。

ここに天照大神や卑弥呼が眠っているとしたら???

実際「何でこんなに土器が出てくるの??」と思うほど
ザクザク出てきますし

普通にありうる状況ではありません。


そのほか
この地の記述について、当地に住む者として修正研削するとすれば

「北に培塚らしきものがあり」は成沢村代々の埋葬地「山埋所」であります。

「南に小祠」は稲荷神社ですが、もともとは個人宅内で信仰していたものをその家が離散した昭和期に
現在地のに移したもので古墳との関係はありません。

西北の地の鈴木十数軒(ここは入文村)も百姓に名字が許される以前から鈴木と名乗っていたかは
大いに疑問があり
西南の地(こちらは成沢村)にも鈴木は3軒ありますが
この家が墓守だったのかは分かりません。

しかしながら
関係をこじつければ
この地は江戸以降「受洞寺」の寺領で
私の家(加藤)以外は鈴木家が耕作しており
農地改革時に各々自作地となっています。

さらに

当地の考証で小野田の字名(村名)は
明治期に成沢(なるさわ)と入文村(いぶみ)が合併した際に付いた名で
これは鎌倉期の国司、小野田氏が納めた小野田の庄にちなんだ名であり
これ以外にには地名名字他小野田の名はありませんので
鎌倉以前にこのは存在しないものと思いますので御一考を。

脈略のないことを書きましたが
この地の歴史のロマンには大いに賛同するものであり
今後も気づいた事があれば
報告書き込みいたしますし

今後の展開に大いに期待します。
 

サトルエネルギー学会2012年春の大会ご案内

 投稿者:maeda  投稿日:2012年 3月 1日(木)11時47分7秒
  サトルエネルギー学会春の大会についてご案内いたします。
 2012年春の大会は、4月15日(日)に下記要領で開催されます。

     記

 2012年サトルエネルギー学会秋の大会
1.テーマ:いよいよやってきた2012年ーこれからどうなる日本ー
      今最も伝えたい高次元からのメッセージが届けられます

2.日時 :2012年4月15日(日)10:15~18:30

3:会場 :(財)修養団SYDホール
         東京都渋谷区千駄ヶ谷4-25-2(JR山手線「代々木」駅より徒歩3分

4.発表者:
①松尾 みどり(スピリチュアルリ-ダー)「2012年銀河新年を迎える日本人」
                    ~ついに明かされる時間が消える日~
②鈴木 真之(日本気導術学会会長)「これまでの常識を覆す気エネルギーの世界」
                    ~あなたもヒーラーになれる気導術とは~
③和 真音(シンギング・リン開発者、イメージコンサルタント)
                「2012年 運命を好転させていくとっておきの秘策」
④佐藤 清(接骨師・鍼灸師/気経絡研究会会長)
                「2012年無病時代が見えてきたー目の前で見せます!」
                   ~ついに完成した片っ端から痛みをとる技術~
⑤藤原 和晃(神儀古式舞98代・岩笛奏者)
                「2012年以降の日本と世界の未来」
                  ~古文書神示と神々の遺伝子~
⑥竹本 良(UFO&ウチュウジン研究会)「2012年 宇宙開国から開星へ」
                  ~UFO・宇宙人研究から見えてきた驚愕の内容~
⑦井筒 貴康(大会実行委員長)
                  ~東京会議ミニトークタイム~(登壇者ほか)

5.参加費 一般予約7,000円、当日8,000円
      協賛団体6,000円、  7,000円
      サトル会員5,000円、 6,000円

  尚、今回当HP管理者からチケットは協賛団体価格で提供できます。
 

以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
/18 


[PR] ハイブリッド