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鳥見塚についての考証

 投稿者:鳥見塚の地主  投稿日:2012年 3月 1日(木)21時09分45秒
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  書籍三冊をワクワクしながら読ませていただきました。

中でも鳥見塚に天照大神と卑弥呼が祀られているというだんには
鳥肌が立ちました。

筆者が鳥見塚として写真を載せている場所は
字名的には北山の地で
(場所は三上となっていますがここは成沢村の地です)
地番ではここの北西部が鳥見塚となり
上鳥見塚は丘陵地を含みますが
下鳥見塚は平地です。

しかし

何らか貴い人を祀った地であれば
平地に祀るはずもなく
古墳としての上下であれば筆者の理解で正しいとも思いますし

実際、北山(上鳥見塚)の私の柿畑からは縄文晩期~弥生期にかけての土器が
地表から1m~2mの地層でゾクゾク出てきます。

この地は「西郷の歴史」誌では成沢遺跡とされていますし
四〇数年前に畑へ入るための道を拡張した際に出土した土器は西郷小学校に
展示してあります。

私的には
この出土地は古墳の(丘陵地の)端部であり
埴輪や土器を冠状に埋葬した場所に当たると思います。

ここに天照大神や卑弥呼が眠っているとしたら???

実際「何でこんなに土器が出てくるの??」と思うほど
ザクザク出てきますし

普通にありうる状況ではありません。


そのほか
この地の記述について、当地に住む者として修正研削するとすれば

「北に培塚らしきものがあり」は成沢村代々の埋葬地「山埋所」であります。

「南に小祠」は稲荷神社ですが、もともとは個人宅内で信仰していたものをその家が離散した昭和期に
現在地のに移したもので古墳との関係はありません。

西北の地の鈴木十数軒(ここは入文村)も百姓に名字が許される以前から鈴木と名乗っていたかは
大いに疑問があり
西南の地(こちらは成沢村)にも鈴木は3軒ありますが
この家が墓守だったのかは分かりません。

しかしながら
関係をこじつければ
この地は江戸以降「受洞寺」の寺領で
私の家(加藤)以外は鈴木家が耕作しており
農地改革時に各々自作地となっています。

さらに

当地の考証で小野田の字名(村名)は
明治期に成沢(なるさわ)と入文村(いぶみ)が合併した際に付いた名で
これは鎌倉期の国司、小野田氏が納めた小野田の庄にちなんだ名であり
これ以外にには地名名字他小野田の名はありませんので
鎌倉以前にこのは存在しないものと思いますので御一考を。

脈略のないことを書きましたが
この地の歴史のロマンには大いに賛同するものであり
今後も気づいた事があれば
報告書き込みいたしますし

今後の展開に大いに期待します。
 
 
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